インドの時代がやってくる②

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早朝、ニューデリーから北東に200㎞ほどの場所にあるハリドワールに向かうため、駅に到着した。
改札はないので、列車の中で切符を確認するのだろう。ホームでは寝ている人がたくさんいることに驚く。顔を洗ったり歯を磨いたりしている人もいる。赤いシャツを着ている人々はポーターだ。決まった制服ではなく、それぞれが自前の赤い服を着ているように見える。長距離列車に乗る人々が抱える大量の荷物も頭に載せてスイスイと運んでゆく。一見の価値ありだ。「インドでは駅にポーターがいるのが当たり前」というのも、ここで初めて知った。
 
カオスなホームに反して、インドで初めて乗った列車は快適だった。指定席で、折り畳みテーブルがついていて、日本の新幹線のような感じだ。列車には等級があり、私たちが乗ったのはECクラス(Executive Chair Car)か、CCクラス(AC Chair Car)だったと思う。インドの列車を予約するときは、絶対エアコン有りのクラスを選ぶべきだ。エアコン無しの予約不要のクラスは、乗車率は100%を超え、まず座れないだろうし、安全とは思えない。
 
列車が走り出すと、制服を着たスタッフが朝ごはんと紅茶を運んできてくれた。
アルミホイルに包まれたパンのようなものを食べてみると、その味わいに驚かされる。
 
めちゃくちゃおいしいではないか!




ガイドさんに聞くと、これはアルパラタといって、全粒粉の生地にスパイスで味付けしたじゃがいもを包んで、平たく伸ばして焼いたものだと教えてくれた。

これはインドのファストフード店、Haldiram’s のアルパラタ

ヒンディー語でアルはじゃがいも、パラタはオイルを塗って折る、伸ばす、を繰り返して焼いた平たいパンのこと。パラタは具の違いでさまざまなバリエーションがある。
ベジタリアンである私にとっては、食べられるものがあるたけでありがたいのに、さらにおいしいのだ。
この時点でもうインドが好きになりかけている。
 
食事を堪能し、しばらくしてから列車のトイレに向かった。すると、衝撃的な光景が目に飛び込んでくる。先ほど朝食をサーブしてくれた制服を着たお兄さんたちが、トイレの手前の床で熟睡しているではないか。
仕事中の「きちんと感」と、休憩時間のギャップの大きさに驚かされる。
日本で例えるなら、新幹線の車内サービスの人が何人もデッキで寝ているようなものだ。
 
日本であれば2時間くらいは説教されそうな光景を横目に、失礼ながらお兄さんたちをまたぎ、トイレとご対面。しゃがむスタイルのトイレは穴が開いていて、落し物は線路に置き去りになるシステムだった。インドのトイレ事情も、新しい発見の連続だ。
インドのトイレは、ホテルや空港以外はトイレットペーパーが置いていない、もしくはあっても流せないところが多いので、郷に入ったら郷に従い、新しいことに挑戦してみることをお勧めする。
 
デリーから5時間ほど電車に揺られ、ハリドワールに到着した。

ハリドワールはヒンドゥー教の聖地のひとつ。たくさんの寺院やアシュラム(道場)があり、また、ガンジス川では多くの人々が沐浴やお祈りをしている。
しかし、電車を降りて最初に目に飛び込んできたのは、手足のない物乞いの人たちの姿だった。その姿を見せてお金をもらっている。
足のない男性と目が合った。両手を使ってすごい勢いでこちらに向かってきたので、どうしていいかわからず目をそらしてしまった。
 
道端に寝ている人、川底から金目のものをさらう人、お祈りする人、沐浴する人。聖地と言われる場所で、さまざまな目的の人たちがぐちゃぐちゃに混ざって、混沌としている。しかし、そこには強いエネルギーを感じた。
「自分の人生を生き抜いてやる!」とでもいうようなギラギラとしたエネルギーだ。物乞いするしか生きる術がない人々であっても、しょんぼりなんかしていない。目が合ったらお金をちょうだいと積極的に手を伸ばし、なりふりかまわず強く生きている。人としての生命力の強さを感じた。
彼らを見て、自分がひ弱に思えたと同時に、不謹慎かもしれないけど、五体満足で、物乞いをせずに生きていける自分の環境がありがたいと思った。
 
車に乗って信号待ちをしているときも、物乞いの人たちはたくさんやってきて窓をノックする。ガイドさんは「お金はあげなくていい」と言ったけど、お金を求める手を無視するのもなんだか切ないのだ。



ハリドワールから移動し、いよいよヨガの聖地のひとつ、リシケシュに到着。リシケシュではアシュラム(ヨガ道場)のゲストハウスに泊まる。
リシケシュはハリドワールから20㎞ほどしか離れていないのに、混沌とした雰囲気はなく、緑が多くて美しいところだ。ほとんどがヨガやお祈りで訪れている人々なので、ガンジス川沿いのマーケットやレストランは人が多く賑わってしているが、平和な雰囲気が漂い、牛もそこかしこでのんびりしている。

ガンジス川沿いの寺院で毎日行われるお祈りの儀式も幻想的でとても美しい。
ただし、ここでもオートリキシャのクランクションが早朝から夜中まで聞こえてくるのはご愛敬だ。
 
川沿いを散歩していると、祈りのお花を売る子どもたちが群がってくる。「買わないよ」と断っても追いかけてくるので、鬼ごっこのようになってしまう。
観光地で物を売る人びとは押しが強い。あまりの押しの強さに感心してしまうほどだ。お店で買い物をするとき、店員さんとのセールストークもインドの楽しいところ。あの手この手で売り付けてくるのが面白い。人によってはストレスに感じるかもしれないが、価格交渉に納得がいけば買えばいいし、いらなかったらきっぱり断ろう。
 
肝心のヨガについては、どうやら我々が体験したのは観光客向けのクラスだったようで、あまり満足できなかったのだが、アシュラムを見れたことやヨガを学ぶ場がたくさんあること、いつでもヨガをしに来られるとわかったことが収穫だった。
 
「食」もまた私にとっては大事な要素だ。誰にとっても食が大事なのは当たり前だが、前述したが私はベジタリアンなので、宗教上ベジメニューが豊富なインドはとてもありがたく、また、アシュラムであれば食事は完全にベジタリアン食だとわかっているから安心だ。私にとってこんなにありがたいことはない。
 
食と言えば、中谷美紀さんの「インド旅行記」(幻冬舎文庫)を読んだ時「マサラドーサ」という南インドの料理がなぜか気になり、食べてみたいと思っていた。しかしここは北インドである。無理を承知で、ガイドさんにマサラドーサが食べたいと伝えてみた。
すると、南インド料理が食べられるカフェに連れて行ってくれたのだ。
 
自分の根拠のない勘は正しかった。私はマサラドーサが気に入り、東京に戻ってからマサラドーサが食べられる店がないかと探した。すると、自分が通うヨガ教室のすぐ近くにあったのだ!
私はその店に行って南インド料理が大好きだということを発見した。初めてのインドでは北インドを訪れたのだが、南インドにも興味が沸いてきた。

10年以上通っているA・Raj(エー・ラージ)のマサラドーサ。
米と豆の粉を発酵させて焼いたクレープの中に、ポテトマサラが入っている。
写真提供:A・Raj(エー・ラージ)東京都豊島区南池袋2-42-5 グランステージ 1F

インドに行って感じたエネルギッシュな空気感、人々の大らかな感じ、ゆるい感じ、適当な感じ、そうした雰囲気が「小さいことは気にするな」と言われているようで、自分にとってはとても居心地がよかった。
お腹を壊すこともなく、無事に帰国した。
 
興味本位で行ったこの旅行で、インドにハマってしまったというわけだ。
 
次回からは、日本で活躍するインド人を紹介していこうと思う。
彼らに学ぶところはたくさんあると思うし、これから人口が減っていく日本で、外国人との共生は必須になると思う。双方が暮らしやすい社会をつくっていかなければならない。
このコラムが、その気づきやヒントになれば幸いである。

続く。

Hello News編集部 柳原 幸代

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