私は、なぜかわからないがインドが好きだ。
インドが人口世界1位になる前から、映画「RRR」が流行る前から、なぜかインドに惹かれるのだ。
何度かインドに行き、日本でインド人コミュニティとつながりをもつ中で、「インドっておもしろい」と思うことがたくさんある。
ここでは、インドの文化や生活、インド人から学ぶこと、日本で生活するインド人のことなどを紹介していく。
その前に、私がインドにハマるきっかけなったインド旅行についてお話ししようと思う。
始まりは、インドのことなど何も知らなかった2012年のこと。
当時の私はヨガに夢中になり、週5でヨガ教室に通っていた。
ある日突然、ヨガ教室の先生に「ヨガの本場、インドにヨガをしに行かない?」と誘われた。
先生とはヨガ教室で会うだけで、プライベートでお会いしたことは一度もない。
普段であれば、旅行はよほど仲の良い友人とでなければ行かないのだが、その時は違う考えが頭をよぎった。当時、旅行自体に特に興味がなく、旅行慣れしていなかった私は、今、この誘いに乗らなければ、インドに行く機会はないだろうと考えた。自分で計画して、日にちを決めて、一人でインドに行けるか?いや、行けない。人の計画に乗っからない限り行くことはないだろう。そう考えた。何よりもヨガの本場、インドでヨガをやってみたかった。
そうして、普段とは違う選択をした。友人ではない人たちとのインド行きを決めたのだ。
その時点ではインドに対してこれといった思い入れはなく、「なんかお腹こわしそう」「除菌シートいっぱい持って行こう」といった衛生面だけを心配していた。
さて、インドに渡航するにはビザの申請が必要だ。それまでビザが必要な国に行ったことがなく、私にとってビザ申請は初めてのこと。当時、窓口でのビザ申請は1,200円。代行会社に頼むと5,000円くらい費用がかかるようなので、自分でやってみることにした。何せ、相手はインドである。ビザ申請ですら他人に頼るようでは、先が思いやられるではないか。
ビザ申請のWebサイトにアクセスすると、うんざりするほど入力項目が多かった。おまけに全部英語で、よくわからない項目もあったが、ネットで調べながらなんとか入力して出力し、写真も用意した。
インドビザの項目や写真の規定はちょこちょこ変わると言われており、そもそもネットの情報が正しいかはわからない。申請が通るかドキドキした。
現在のシステムでは、インターネット申請が可能なe-Visaがあり、写真もスマホからアップロードできる。当時はまだそれはなかったように思う。郵送での申請も可能だったが、初めてということもあり、不備があった場合に日数がかかってしまうので、直接インド大使館へ申請しに行った。
ちなみに、日本人の申請料1,200円(2012年当時)というのはすごく安いらしい。私より前に並んでいた外国人の方は、申請料に驚き、騒いでいた。おそらく、万単位だったのだろう。
日本人に友好的な金額を示すなら、いっそ日本人はビザ不要にしてくれないだろうか…。入力の面倒くささを思い出し、そう思った。
窓口には旅行代理店と思しき方が多かった。代理申請なのだろう、複数のパスポートを手にしている。
自分の番が来て書類を提出すると、指定の日時にビザとパスポートを取りに来るよう言われ、そして後日、問題なくビザは発行された。
一人で申請できた!一発でビザが発行された!ノーミスで!
ビザを取得しただけで、とてつもない達成感を覚えた。まだインドに行ってもいないのに。
これがインドVISAの申請フォーマット。当時のものではなく、2022年のe-Visaのもの。
出発の日、ヨガ教室でしか会ったことのない先生2人と生徒3人の計5人が成田空港に集合し、エアインディアに搭乗。デリーへと向かう。
エアインディアの客室乗務員は全員インド人だ。搭乗後、携帯で写真を撮っていたら「NOOO PHOOOONE!!!」と遠くから怒鳴られてビビった。CAに怒鳴られた!機内はすでにインドだったのだ。離陸前の機内にて、日本にいながらにしてインドの洗礼を受けてしまった。
平日だったせいか機内はガラガラと言ってもいいくらい空いていた。ヒマを持て余した男性のCAが、途中から私たちの席に来て話し始め、結構長い時間をおしゃべりに費やした。女性のCAは新聞を読んでるし、客が少なくてやることがないから、好きなことをして過ごしている様子だ。私たちも空いている席でアームをたたんで寝転がっていても怒られることはなかった。
最初、怒鳴られたときはびっくりしたが、今にして思うとインドというよりは外資系のエアラインだからに過ぎなかったのだろう。
外資系のエアラインには申し訳ないが、日本の航空会社のサービスのよさは格別だ。飛行機に限らず、日本の接客のよさは、他国に比べたらはっきり言って異常なほどではないだろうか。日本では当たり前だと思っていたことが、海外では全然当たり前ではない。そのことは、インド到着後に何度も思い知らされることになる。
9時間のフライトを終え、デリーのインディラ・ガンディー空港に到着。
ドキドキのイミグレーションも問題なく通過し、空港から外に出ると、待っていたのはクラクションの嵐。
う、うるさい。信じられないくらいうるさい。マジうるさい!
よほどのことがない限りクラクションを鳴らさない日本と違い、インドではあちらこちらでひっきりなしにクラクションが鳴っている。鳴りやまないクラクションに辟易し、インドに降り立った時の感想は「うるさい」以外になかった。
目の前を走るトラックの後部をふと見ると、「BLOW HORN」とか「HORN OK PLEASE」とか書いてある。
つまり、「鳴らせ!」と書いてあるのだ。え? どうゆうこと? クラクションを奨励?煽ってこいや!とでも言いたいのだろうか。
日本では、「邪魔なのでどいてください」という意味でクラクションを鳴らす。一歩間違えばケンカになりかねない。しかしインドでは「私はここにいます」と存在を知らせるためにクラクションを鳴らす。むしろマナーなのだ。クラクションにも日印の違いがあるのが面白い。
ただし、鳴らす回数がハンパないのだ。みんな鳴らしてたら意味ないんじゃない?
ちなみに、数年後にケララ州(南インド)に行った時はデリー(北インド)のようにずっとクラクションを鳴らすのではなく、カーブで曲がる時や、歩行者がいる時など、「通りますよ~」みたいなお知らせとしてクラクションを鳴らす程度だった。文化・風習・食文化などが地域によって違うと私が知るのは、もうしばらく後のことである。
空港に到着したのは夜中に近く、ホテルに着くと、危ないから外に出るなとガイドさんに警告された。警告されずとも、長時間のフライトで外に出る元気なんてないし、大都会・デリーの夜に出歩く勇気はない。
しかし、同行メンバーの一人がお腹が空いたらしい。それをガイドさんに伝えると、もう夜遅い時間であるにもかかわらず、ホテルのスタッフが何もなかった屋上にイスとテーブルを用意し、食事を作ってくれたのだ。
たぶん、これがインドで私が最初に経験した「おもてなし」だ。
営業時間とか関係なしに、食堂が開いてないなら屋上で、とか、インド人にとって、臨機応変な対応は普通だ。だけど、ルールでガチガチの世界で生きている日本人にとって、ものすごくあったかい世界に見える。
今日にいたるまで、こうした柔軟なホスピタリティーには何度も遭遇している。そのたびに、ものすごくうれしい気持ちになる。インド人のホスピタリティーには私の心に触れるなにかがあるのだ。まさに、この小さな「なにか」が私をインド好きにさせていくことになる。
その日はご飯を食べておとなしく就寝。翌日は、朝早くから電車に乗り、ハリドワールへ向うのだ。
続く
Hello News編集部 柳原 幸代
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