実家再生物語

筆者プロフィール

山田武男


1980年横浜生まれ。茨城のニュータウン育ち。東京農業大学造園科学科卒。2004年に不動産業界に就職して以来、数社の不動産事業に従事。店舗、オフィス、ホテル等の事業用不動産を中心に、数十件の築古ビルを再生、運営に関わっている。築古ビルの空室に若手アーティストの展示場所として活用するイベントを18回開催するなど、ビル再生、地域への関与を模索し続けている。2019年4月、不動産会社(株)オリエンタル・サン設立に参画し、現在は代表取締役に就任。

ここ数年、私が「実家シリーズ」と呼んでいる案件の持ち込みが増えている。
「実家シリーズ」とは、実家の再生や処分等の相談のことだ。近年、弁護士や税理士、宅建業者等の間でもこういった相談で溢れており、大変ホットな話題だ。
国土交通省調べでは、平成30年時点で全国に846万戸もの空き家があり、地方都市では市役所で専門の部署を設けるほどの社会問題となっている。なお、「実家シリーズ」の物件の多くは田舎や郊外で、たまに都心もある。

不動産において、実家の再生の選択肢は、「貸すか」、「売るか」しかない。もちろん「自分で住む」もあるが、そうであれば、もはや空き家ではない。
権利や税務の問題等々、専門的な話はさておき、私が関わってきた多くの家で起きている共通の問題は、「片づけ」に尽きる。
誰でもできるはずの「片づけ」がなぜ進まないのか。理由を大きく分けると以下に集約される。

① 貸せない(売れない)と思っている
どんなに都心にあっても実家は実家。まさか自分の家が貸せる(売れる)と思っていない人(実家を不動産商品として客観的に見たことがない人)が多い。

② 面倒くさい
家族が数年間放置してきた家を今さら片づけられない。空き家となった家は換気を怠ると、どんどん傷み、荒れていくため、見たくなくなってくる。

③ いつかやる
まだ親がいるから、兄弟が近くにいるから、忙しいから、時期が悪いなど、実家の問題は後回しになる。タイムリミットがないので、問題解決のドライブがかからない。

④ 親(兄弟)と話したくない
いつか話さないといけないと思ってもお互いに言い出せず、面と向かって話す機会がなく、できればそっちでやってほしい、とお互いに内心思っている。また、「家具は捨てる?」「アルバムはどうする?」「お母さんの着物は?」等、整理に伴う決定や話し合いをしたくない。

⑤ 金がかかる
廃棄物や家の解体の見積もり、仲介業者への依頼などでコストが数十万~数百万円になってしまうと、「そんな金はない」等とあれこれ想像しているだけで手を付けづらくなってくる。

上記の理由が単独であるというより、重なりあっているのが実態で、それぞれの生活がある中で、放置してしまった結果、気が付いたら数年経っていたというケースが多い。

実家が山奥にあれば、風雨にさらされたまま放置していても、固定資産税等のコストは微々たるものかもしれない。
しかし、大都市郊外や都心にある物件はそうはいかない。後述する事例では、団地の管理組合に支払う管理費や修繕積立金だけでも馬鹿にならなかったそうだ。
また、「土地値が高い時期に売っておけば…」、「貸していたら賃料が上がっていたのに…」等、後から思えば後悔する要素はたくさんある。長年放置していて逃した家賃は数百万円だったかもしれない。

目次

台田団地の事例

東京都清瀬市の郊外にある台田団地に実家がある広瀬家は、最近、長年の「実家問題」を解決した稀有な親子だ。長男である公彦さん(52)に実家再生の様子を伺った。

台田団地は昭和40年代に公団が新築した典型的な団地

台田団地のある家は、親戚の一人が1972年の新築当時に買った。その後、1978年に公彦さんの父が譲りうけ、住み始めた。広瀬家は三人兄弟で、当時は両親と、公彦さん(8)、弟(7)、妹(5)の5人家族だった。
近所には、同世代の友人がたくさん住んでいた。外から大きい声で叫べば、友達が出てきてすぐに遊べた。当時、周辺は田んぼと畑だらけ。ボーイスカウトに入団したが、専用のキャンプ場が作れるほど田舎だったという。

団地ではいつでも友達と遊べた

公彦さんは18歳の時、大学に入学するために、家を出た。弟は25歳で結婚、妹も数年後に結婚して家を出た。
父は、船舶関係の仕事をしていたため、ほとんど家にいない人だった。子供達が家を出てしまうと、家には母が一人でいることが多かった。
その母が体調を崩し、介護施設へ入ることになった際、父と公彦さんが家に戻ってきて、母の面倒を見て、通院や施設に通うことになった。家は無人の時もあったが、母が外出許可をもらい、兄弟や孫が集まってご飯を食べたりしていた。

母が施設に入った後の約3年、その家は空き家同然だった。母の様態や、病院の話をするために家族会議はしたが、家の話にはならなかった。その後、母は亡くなり、部屋はそのままの状態で残された。

2017年から2022年まで5年間、実家は空き家同然だった。とはいえ、固定資産税はもちろん、団地の管理費等も払わねばならず、父の心は重かったようだ。早く売るか、貸すかしたかった。

5年間、時が止まった空家

1年程前から、公彦さんは父の会社を手伝うようになり、机を並べて毎日会うようになった。
たまに家の話になるが、父は、「母の着物は高い」「家具は置いといても貸せるのでは?」「電気は契約するか?」等、発言はするが、動くことはなかった。
公彦さんとしても、実家は「親父のもの」であり、父がやるのが当然だと思っていたし、家族みんなのもの、とは考えていなかった。
父と話すうちに公彦さんもアンテナを張るようになり、地元の後輩の不動産業者に意見を聞いたが、駅前の賃貸は、飽和状態。駅から徒歩20分以上ある台田団地はとても貸せないという。
偶然知り合った中国人の業者が、安く片付けができるとのこと。しかし家具だけでも30万円はかかると言われ、その後のリフォームが数百万円として、後輩が言っていたように賃貸できなかったら、と思うと八方塞がり状態だった。

当社が現地に伺ったのは、その頃だ。賃貸やリノベーションの見積もり、賃料の査定等、公彦さんの同級生である税理士と実家のテーブルを囲んだが、すぐに打ち合わせは行き詰まった。
私から、「見積もりするにも荷物を片づけないと、見えない部分が多くて見積もり金額が上がるだけ」と言ったところ、「知り合いの業者に片づけの見積もりをとる」というので、そこで私がピシャリと言った。
「ゴミ袋はありませんか?明日はゴミ収集の日ですか?」
そこから、おじさん3人による片づけが始まった。明らかな不用品から、家族に判断を求めるもの、と仕分けをしていき、その日に出せるものはどんどん収集所へ運ぶ。
そんな日がもう1日あって、公彦さんから「社長と税理士先生に頼むには悪い」と言われながらも、ひたすら片づけをした。

団地の集積所。ゴミの日を調べて毎週捨てた

それから横浜に住む公彦さんの、週末の清瀬通いが始まった。弟は仕事が忙しいことを知っていたので、声をかけなかったが、社会人と大学生になった甥を呼び出して、手伝わせた。妹は片づけが苦手なので、あきらめた。家族の中で、できる人がやることにした。あとで2人に聞いたら、片付けを任せきりにしたことについて、申し訳ないと思っていたらしい。 
ごみを棄ててみて、家庭ごみのノウハウを知った。何度か収集日を間違えてクレームをもらったが、近所の友人に聞いて捨てたり、廃棄場に持っていったりした。
結果、廃棄費用は10万円で終わった(当初は30万の予算)。1日2~3人の人員で、延べ10日程度だった。

浴槽の壁はyoutubeでカビの落とし方を調べてきれいにした

リフォームして貸せることは分かっていたが、月に数万円で賃貸するものに、リフォーム費用は数百万円はかかると思っていた。しかし、過去に数日のDIY経験があり、塗装をするイメージはあった。
週末の作業が終わり、月曜に出社した公彦さんは、目の前に座る父に片づけの様子を報告した。
毎週進んでいく実家の片づけ報告に、父は前向きになり、公彦さんに「リフォームをやってみろ」と言った。
解体や清掃、塗装作業は、同じ団地に住む同級生に隔週で手伝ってもらった。公彦さんが清瀬で毎週作業していることを知ると、同級生が8~9人程集まってきて、作業後は、同窓会となった。
数百万円かかると思っていたリフォーム代は、壁紙、ペンキ、クッションフロア、養生シート、リペア材に、脚立、ハケ、などの道具、借りた車のガソリン代、洗車代など含め、15万円程度で済んだ(これから襖貼替など諸々5万円程追加予定)。手伝ってくれた人の昼食代や夕飯代に5万円くらいかかったが、人件費を考えるとかなり助かった。

現場がスケルトンになる頃、友人から、久々に飲みに行こうと連絡があった。完全在宅の仕事になったから、ネット環境さえあれば仕事ができるとのこと。都心は飽きたし、静かなところに住みたいらしい。
友人は、10年以上住んでいる賃貸物件をDIYリフォームして住んでいて、非常に快適だと話した。飲んだ勢いで、「うちの実家に住まないか?」と言ってみた。すると、次の仕事が始まるまで、少し暇なので、DIYをやってみたい、とのことで、しばらくしたら内見しにきてくれた。そして、一目惚れして契約が決まった。
9月に契約と同時にリフォーム開始、リフォーム中はフリーレントで、11月から家賃発生(材料は大家持ち。借主と大家で施工)。広瀬家に起きた革命だった。

プロの手を借りずに実家の再生に成功した広瀬家の成功要因はなんだったのか。公彦さんに聞いた要点は以下だ。

アンテナを張る
後輩の不動産業者に聞く、廃棄物処理業者に聞く、コンサルタントに相談、税理士に相談する。次々に相談しているうちに頭が整理された。たくさん聞くことは大事なことだ。

定例化された親子会議
職場を共にしていたので親子の頭が仕事脳になっていて、甘えが排除された。実家について親子間の報連相が行われ、何をするにもリアルタイムに父の承認がおりた。時には「今から現地行くぞ」と、管理組合に図面を借りに行ったこともあった。

愛着
実家をなんとかしたい、という気持ちがあった。

広瀬家は、父子がたまたま職場を共にしたことをきっかけに、実家の再生が進んだ。実家は「親父のもの」という子供の意識はあったが、それは言い訳に過ぎない。家族がお互い押し付けあっているだけなのだ。
知識も経験もない中で、たった1回の家族会議で魔法のようにすべて解決するわけではない。様々な事情はあるかもしれないが、ここは親子、兄弟、姉妹で毎週話してみてはいかがだろうか。

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