地価上昇が示す千葉県流山市の変貌

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地価上昇ランキングにあの、流山市が?

3月18日、令和7年の地価公示が発表された。
地価公示とは、「土地の公的な価格」のこと。全国の標準的な場所を選び、毎年1月1日時点の1㎡あたりの適正な土地の値段を、国土交通省土地鑑定委員会が調べて決めている。この価格は、土地の売買や不動産の評価、税金の計算、公共事業での用地買収など、さまざまな場面で基準として使われている。
 
国土交通省が発表する地価公示の説明資料の中に、「地価の高い上昇が継続している」として、「千葉県流山市」が紹介されていた。
 
「あの、流山市が?」と、思った。なぜなら、25年ほど前に私は流山市に住んでいたことがある。まだつくばエクスプレス(TX)が開業する前の流山は、失礼ながら「本当に何もないところ」というのが私の印象だった。
 
千葉県の北西部、都心から25㎞圏に位置する流山市。今ではつくばエクスプレスで東京・秋葉原まで約30分という便利な場所となったが、2005年につくばエクスプレスが開業する以前は、都心へのアクセスは悪かった。

25年前、わたしはJR武蔵野線・南流山駅から品川の職場に通っていた。
当時のルートはこうだ。
武蔵野線・南流山→常磐線・新松戸(各駅停車)→常磐線・松戸(快速)→上野→山手線・品川
 
通勤にかかる時間は片道1時間以上。TXはもちろん、品川まで直通運転となる、常磐線の上野東京ラインの運転もまだ開始されていない頃、乗り換えは多いわ、通勤ラッシュはすさまじく、青あざをつくることもあった。武蔵野線の終電は早いうえに、帰宅時間が遅くなると、新松戸で武蔵野線に乗り換える時に、最大で20分待たねばならずとても不便を感じていた。
ちなみに現在のルートでは、TX南流山→秋葉原→品川で、所要時間は約50分。乗り換えも1回で済む。
 
当時はとにかく、通勤が苦痛で早く引っ越したいと思っていた。
わたしの流山のイメージはそんな感じで止まっていたので、「あの、流山が?」と思ったのだ

出典:流山市

つくばエクスプレスが開業したのは平成17年。その年約16万人だった人口は、令和7年4月には約21万4000人に増えた。
人口だけ見ると、「まあ、つくばエクスプレスが通ったからかな?」と短絡的に思ってしまいそうだが、それだけでは語れない要因がある

出生率の高さが示す“まちのちから”

合計特殊出生率の推移

出典:流山市

驚くのは、出生率だ。1人の女性が一生のうちに産む子どもの数を表した指標である「合計特殊出生率」(以下、出生率)は1.46と、全国平均の1.20を大きく上回っている。出生率の高さは、将来的な人口減少の抑制や地域の活力維持にもつながる重要な要素だ。
前回の記事で「人口戦略会議」の分析による「消滅可能性自治体」に触れたが、流山市は同分析で「自立持続可能性自治体」に位置付けられている。20~39歳の女性人口の減少率が非常に低く、持続可能性が高い自治体であるとされる。

発展の起点となった交通インフラ整備

かつては少子高齢化に向かっていた流山市。そこからどのように発展を遂げたのか。その大きな転機となったのが、2005年のつくばエクスプレス開業である。
つくばエクスプレスの開業によって、市内には南流山、流山セントラルパーク、流山おおたかの森、3つの駅ができた。当初、柏市を通る予定だったつくばエクスプレスを流山に誘致したのが、1983年から1991年までの8年間、第3代流山市長を務めた秋元大吉郎氏だ。当時、「日本一ひどい」といわれた常磐線の混雑緩和のために常磐新線(現・つくばエクスプレス)を誘致しようと、市民の署名活動や国・県への働きかけなどを精力的に行い、時の政治家・田中角栄氏にも直談判したという。秋元氏の功績は、流山おおたかの森駅東口の「つくばエクスプレス開通記念の碑」にも称えられている。

都市計画のプロが描いたビジョン

時は流れ、つくばエクスプレスの開業を2年後に控えた2003年(平成15年)、流山市長に初当選したのが井崎義治氏。子育て支援やマーケティング戦略などの取り組みにより、流山市の人口増加に貢献し、2025年現在も市長を務めている。
井崎氏は、日本の大学と米国の大学院で地理学を修め、米国で都市計画コンサルタントとして活躍した都市計画のプロフェッショナルだ。そのプロが、1988年に日本に帰国するにあたり住む場所に選んだのが流山市だった。自身が選んだ地の都市開発が素人レベルであることに気づいた井崎氏は、流山を住みやすい街にするために立ち上がり、市長に立候補する。政治とは無縁だった井崎氏は奮闘するも、1999年の選挙では惜しくも落選。しかし、市民の声に耳を傾け、対話集会を開き、政策の課題と解決策を訴え続けた結果、2003年の市長選では圧勝し、初当選を果たした。

共働き世帯を支えるまちへ

井崎氏の市政のもと、流山市が都市戦略のターゲットとしたのは、共働きの子育て世帯だった。公平じゃないと思う人もいるかもしれないが、そもそも子どもがいなければ、 高齢者を支えることはできない。『母になるなら、流山市。』というキャッチコピーを掲げ、子育て支援制度の充実を図った。
その一例が、流山おおたかの森駅前と南流山駅前にある「送迎保育ステーション」。出勤時に送迎保育ステーションに子どもを預け、帰宅時にお迎えできるサービスだ。朝、子どもを送迎保育ステーションへ預けると、バスで各保育施設へ送迎してくれ、夕方はバスが各保育施設から子どもを乗せ、送迎保育ステーションに送り届けてくれる。保護者はわざわざ保育施設までいかずに送り迎えができる。お迎え時間は18時を過ぎると別途料金が発生し、最長20時まで預かってくれる。送迎が困難な人を対象としているため、利用対象者に条件はあるものの、1カ月2000円、1日なら100円と、利用料金も手ごろで、通勤と育児を両立する家庭にとっては心強い制度だ。なんと、事前連絡すれば夕食利用もできるのだとか。
「送迎保育ステーション」のような取り組みは、全国にじわじわと広がっている。車通勤で駅を使わない人や、交通渋滞が多い地域など、不向きなエリアもあるだろうが、子育て世帯にやさしい社会にならなければ、少子高齢化は加速するばかりだ。

保育園の整備だけでは終わらせない

共働きの子育て世帯にとって欠かせないのが「保育園」だが、流山市の取り組みは単なる数の整備にとどまらない。2010年に17カ所しかなかった保育園は2022年には100カ所に増え、2021年に待機児童ゼロを達成した。切実なのは、保育士の確保だ。保育士の給与水準は東京の方が高いため、どうしてもそちらに人材を取られてしまう。そこで流山市は保育士に月4万3000までの補助を出した。市の補助は、送迎保育ステーションの送迎バスにも使われているそうだ。利用者の安全を守るため、飛散防止フィルムを貼ったり、オゾン生成器を設置するなど、バスの安全性を高めている。

地域を動かすのは、批判ではなく行動

ここで紹介した支援は極々一部にすぎない。流山市のまちづくりに関する書籍もたくさんあるので、ぜひ読んでいただきたい。『流山がすごい』(大西康之著、新潮新書)には、支援制度などももちろん書かれているが、流山市の変革に関わった人たちが描かれているのがおもしろい。彼らはみな他力本願な批判者ではなく、問題を自分ごとととらえて、自らアクションを起こす人たちだ。アクションを起こして課題を解決していく、もしくは課題から自分が好きな道を見つけていく人々のドキュメンタリー本ともいえるのではないだろろうか。

20年後のお楽しみ

流山市が今後、どのような自治体になっていくのかとても楽しみだ。
発展の礎となったつくばエクスプレスは、現在、延伸計画が進行している。つくば-土浦間、秋葉原-東京間の開業を2045年目標とした計画だ。 これが実現すれば、流山市の交通利便性はさらに向上し、羽田空港へのアクセスも容易になる。 また、引き続き子育て支援策の充実や都市機能の強化が図られれば、さらなる人口増加と地域の活性化が期待される。

Hello News 編集部 柳原 幸代

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