<前編>日本人だけが知らない?!アニメ文化の破壊力

梅沢励
日本に2つ、アメリカに4つ、合計6つの家を持ち、4台のマイカーを乗りこなして自由な移動を繰り返す“現代版フーテンの寅”こと、梅沢励さん。東京、千葉、マイアミ(フロリダ州)、オーランド(フロリダ州)、ジャクソンビル(フロリダ州)、アトランタ(ジョージア州)を行き来する「多地域居住」の暮らしは、今年で16年目に突入した。5年前、グリーンカード(永住権)を手に入れ、生涯アメリカ居住を宣言。オンラインアパレルショップで生計を立てながら、週末は、アメリカ国内の催事場で日本から運んだ飴玉やグミ、チョコレートを売りさばく気ままな暮らしを楽しんでいる。

本連載は、アメリカ人とニッポン人、双方の感覚を併せ持つ寅さんこと励さんが、リアルで痛快な「多地域居住ライフ」を紹介する本邦初の手引書である。今回は、アメリカで人気のアニメ事情について私が感じたことをお伝えする。

目次

「アニメは大人が見るものではない」と思っていた

アニメと聞いて、「子供が見るものだ」なんて考えているなら、その考えは改めなければならない。

日本人は気づいていない。「アニメ」が日本のイメージであり、文化であり、魅力であり、これがあるから「クールジャパン」なのだということを。

Atlanta最大級ドラゴンコン 4日間アニメづくしの毎日

僕自身、秋葉原がアニメオタクの聖地で、アニメイベントはオタクが集まる祭典…程度はどこからともなく耳に入ってきたことはあるが、フィギュアを買ったりすることもなければ、プラモデルも作ったことはない。こんなことでは、いつの間にか時代の流れから取り残される。いや、流れというよりも世の中の常識についていけなくなってしまう。そう感じたきっかけは、「あなたは本当に日本人か?」と聞かれた10年以上前の出来事だった。

僕は27歳でアメリカに渡って16年、現在43歳になる。

小学生の時は「キャプテン翼」を見てサッカーをした。夏休みは「タッチ」や「ガンダム」を見てから、外に遊びに出かけた。中学生、高校生の時は毎週発売の「少年ジャンプ」を読んでいたし、「ドラゴンボール」なんかが全盛期だった。「ジョジョの奇妙な冒険」も当時すでにスタートしていて、“ザ!昭和”という時代を生きてきた。

そんな僕は、高校生になってしばらくしてから、漫画を読むのをやめた。読むのは好きだったけれど、漫画のせいで勉強する時間が減ってしまい、極力我慢しようと思ったからだ。「ゲームばっかりやってないで!漫画ばっかり読んでないで!」というのは当時を表す親御さんの小言の代表格だ。

「キャンディーキャンディー」のアニソンを歌えるイタリア人の女の子

大学生になってからは、漫画を読むというのは恥ずかしいことだと思っていた。

当時の僕は、漫画やアニメは子供っぽいと思っていたことと、社会人が読むような漫画ももちろんあったが卑猥なものが多くて、そういうサラリーマンを満員電車で見ることに嫌気がさしていた。

それに外国に旅行した時、外国で漫画を読んでいる人をほとんど見かけなかったのも理由のひとつだ。それで、漫画を読むから日本人は子供っぽいんだと感じた。もちろん、当時から外国の本屋には一部漫画が置いてあったし、日本語も全部しっかりと翻訳されていた。

同年代の外国人と会うと「日本と言えば漫画やアニメだね」なんて言って、自分たちが過去に見たアニメの話で盛り上がったりしたこともあった。でもそれは中学生、高校生の時に見たという話しで共通していた。

ちなみに、ペルー人が見ていた「キャプテン翼」の主人公の名前が翼君じゃなくて、オリバー君だったのには笑った。南葛小学校は同じなのに、名前だけ変えることは無いだろうと。あと、「キャンディーキャンディー」を歌えるイタリア人の女の子にも会ったし、アジア人はみんな「ドラえもん」が好きだった。

社会人になってもなんだかんだと忙しく生きていたから、漫画を読む暇はなかった。それに、周りで漫画について話す友人もいなかった。学習塾の講師をしていた時、学生に「エヴァンゲリオン」がどうのとか何度か言われたことはあったけれど、それでも特に興味を示すことはなかった。

アメリカに渡った27歳の時、僕は大学の勉強やらビジネスやらに血眼になって生きていたのだけれど、相変わらず漫画に疎かった。ある時、一緒の大学にいた学生が「犬夜叉!」(inuyasha kagome!)と叫んだが、その意味が分からなかった。しかし、本屋に行くと、週刊少年ジャンプがMONTHLYで売られていて、「週刊誌なのに」と笑ったり、僕が中学生の時に発売されたものが今さらアメリカで売られていたりしたことに驚いた。ずいぶんと時差があるもんだ…なんて思っていた。

それでもなお、アニメや漫画はティーンネイジャーのものだと思っていた。

ビジネスにアニメ商品を取り入れたきっかけ

Atlantaの日本のお祭り、ジャパンフェスト

ビジネスを始めて数年、アメリカに埋もれて仕事をしようと決めた時、「日本のアニメがアメリカですごい人気になっている」と友人に聞いた。同年代のアメリカ人の旦那がアニメ好きで、アニメイベントなるものに行っているとのことだった。アニメ=子供と考えていた僕は、いかつい黒人の兄ちゃんが、アニメ好きって「なんだそりゃ?」と思った記憶がある。

「旦那がオタクなのよ、、、。笑っちゃうよな、、アニメだよ?」

そんな話を日本にいる友人と話していたら、その友人の親父が「naruto」っていう忍者の漫画でビジネスしていると話を聞いた。流れに乗ってみようと僕も「よし!じゃぁナルトでいっちょ仕事してみるか!」と思い、まずはナルトを知ろうとアニメを見ようとしたのだが…なんとそのナルト、当時で300話くらい話があって、さらに「ナルト疾風伝」という続編が出て、全部のアニメを見るのに1年以上かかった。。大変だった。

販売コーナーでナルトのコスプレをするアメリカ人

「ラムネ」と「ポッキー」を爆買いするアメリカ人

そんなさなか、僕は初めてアニメイベントなるものに参加した。目的はブースを1つ買って、そのブースの中で商品を売ること。それでヤフオクなどで仕入れたアニメ関係の商品は日本で買った値段の2倍で売った。

ブースを借りるのに7万円、ホテル代やら食事やらで5万円、商品の輸送量3万円。計15万円の経費に対して売り上げは30万円だから、まあ「トントン(ブレイクイーブン)」で、良い経験ができたなと思っていたのだけれど、僕の隣では、セーラームーンのコスプレをした女の子が「ラムネ」と「ポッキー」をビックリするほど売っていた。

売り方が下手くそなのに本当によく売れていた。僕だったら「ラムネってのはこうやって開けるんだよ!」「ポッキーってのはチョコレートでさ、このランニング着た人がロゴで!グリコなんだよ!お兄ちゃん、おねぇちゃん、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!」ってやりたくてしょうがなかった。

それで僕もラムネやポッキーを売りたいなぁと思って知人に相談したら、「すぐに仕入れられるよっ!」と言われ、それ以降はアニメ商品と一緒にお菓子も売るようになった。

その時、僕が住んでいるマイアミでちょうどアニメのイベントがあったから早速参加することにした。会場に着くと、日本人は他に誰も居なくて、珍しがってか、みんなあっちこっちから寄ってくる。「お前、日本人か?」って。「そうだよ、純粋なる日本人だよ!」。

すると10代の女の子が突然、日本で流行しているアニメや漫画のことを色々と聞いてきた。まだナルトしか知らなかった僕は、受け答えに困っていると、「あなたは本当に日本人か?」「日本人なら漫画やアニメに詳しいはずよ!」と詰め寄られ…その後もずっと「どうして詳しくないの?」とさんざん言われ、、その時ほど漫画やアニメに詳しくなかったことを後悔したことはなかった。

後編はこちら

梅沢励

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